妄想紀行

好きなことについて話したい自分のための忘備録。

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自由と孤独

 江雪   柳宗元

山鳥飛絶   千山 鳥飛ぶこと絶え
万径人蹤滅   万径 人蹤滅す
孤舟簑笠翁   孤舟 簑笠の翁
独釣寒江雪   独り寒江の雪に釣る

 

最近、この詩の訳注や解説を端から当たって色々読み比べる機会がありました。

その中で、『詩語のイメージ――唐詩を読むために』*1 の「漁翁・漁父」という項目の最後に、おおと思うことが書いてあったのでメモ書き。

(前略)その孤独を、柳宗元が情熱的に描き出しているとは思えない。対象を心情的にとらえるとか、感情移入をするというような表現態度は、この詩には見られない。「江雪」詩は、情緒的共感をこばむ厳しい表現姿勢で一貫している。柳宗元は、「漁翁」――ここでは「蓑笠翁」――という自由な存在が、その自由と背中あわせに抱えこまなくてはならない孤独を、正視しひきうけようとしているのだ。


何よりもまず、自分の琴線にぐさぐさくる表現に出会ったことへの衝撃で興奮したのを覚えていますw(しかもよく見たらこの項目の担当者が他でもない安藤信廣氏だったというオチつき)。ある先生の論文で初めて庾信を知ったときもこんな感じでした。これだから他の人の文章を読むのはやめられないなあ…というのはさておき。

七言古詩「漁翁」とは対照的な、絶対的な孤独――それはひたすらつらい、重苦しいもの、耐えなければならないものと認識していました。
その一方で、「脱俗の人へのあこがれや、孤高の生き方への共感を示そうとした」*2 という解説が自分の中でうまく噛み合わなかった。
漁師を隠者の象徴すなわち憧れの対象とする見方は少なくとも「漁翁」詩には感じられるし、根っこにはあるのだとしても、「江雪」詩に見えるのだろうかと。

漁翁に憧れを寄せることで、悲しみを慰めていた…?とか考えていたのですが、
「自由」(超俗)のもう一つの側面、同時に受け容れなければならないものと捉えるとすんなり理解できて、膝を打ちました。
冷静に考えると微妙に言い方が違うだけかもしれないけど、こんなに印象が変わるのかと。とても好きな解釈です。
(実のところ背負うとか抱え込むとかいう言葉に弱ゲフン)

語句が簡単、詠まれた時期もおよそはっきりしているから、読むだけならなんということはない。でも短い分、逆に想像の余地が大きいのはなるほど絶句*3 の面白さだなあと。長い詩の方がかえって言いたいことは分かりやすいと前に聞いたのを思い出しました。

『詩語のイメージ』には「漁翁・漁父」の他に「孤舟」の項目もあって、その二つを見比べるだけでも楽しいです。詩全体ではなくてあくまで単語に焦点を当てているのだから変わって当然かもしれないけど、違った一面が見えるのは確かです。


*1:後藤秋正・松本肇 編、大修館書店

*2:唐詩三百首詳解』田部井文雄著、大修館書店

*3:「江雪」詩については、声律がけっこうアレなのと下定雅弘『柳宗元詩選』(岩波文庫)の解説にある永州時代は古体詩が大部分だった云々の話を見ると、この詩も同様に古体詩のつもりで詠んだのではないかと思うのですが、それはともかく